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誰にも話していない、僕がやっていること。1

もう何年も僕が試みていることがあります。言葉ではうまく説明できないので、誰にも話していません。
それは、うまく言えないけど、人間の言葉を使わずに考えること。人間の考え方、人間の基準を排除すること。
まあ、そんな感じです。

人間は言葉という便利なものを作り出した優れた生き物だという考え方もあるでしょうが、そうでもないように感じることが多いです。純粋に音として感じる言葉や、詩や短歌などのようにそこから広がるイメージや余韻を感じるための言葉は別ですが、単に事象を伝える道具としての言葉は、歯がゆいくらい中途半端で不完全なもののように感じます。発する側 受け取る側の能力によって多少の差はありますが。
動物や他の生き物から見たら、ひょっとしたら、人間は言葉のような面倒でややこしく不完全なものを使わないとコミュニケーションできない生き物と思われているかもしれません。
イルカやクジラなどは、そんなにダラダラ話さなくても短い合図のような言葉だけでコミュニケーションが取れているようですし、水面にぎっしり浮かんでいる水鳥たちが一斉に飛び立つ時、互いの間隔は最小限確保されていて誰もぶつからない。生まれつきそういう間隔が身に付いているのでしょうけど。
それから、動物たちは相手が襲ってくる相手かそうでないか、気を許しても良い相手かどうか、そういうことも一目で見抜けるような気がします。
言葉を交わさなくても相手のことがわかる能力を持っているような感じです。もしかしたら、人間も言葉のない時代にはそんな能力を持っていて、言葉を使うようになったためにその能力を失ったのかもしれません。そういうことは今の時代にもありますよね。いろんなものが便利になって行くほど人間がバカになって行く的な。“便利”と“ムダに便利”は区別しなくちゃいけません。

動物たちのコミュニケーションについて特によく考えるようになったのは、お京さんの出産、子育てを見てからです。
お京さんが子猫を産んでから約1ヵ月は、どこで産んだのか、子猫たちはどこにいるのか誰にもわかりませんでした。アビたちのときもキトたちのときも。子猫たちは、お京さんが出かけている間、鳴き声も上げず、物音も立てず、動かずに待っていたと思われます。そうしなくちゃいけないことが、生まれた時から身に付いている。
1ヵ月過ぎてお京さんが子猫たちをデッキに運んでからも、しばらくはアビたちは近くの物置に隠れていました。それが、僕がごはんを用意して、お京さんが鳴き声を上げると一斉に出てきました。(「猫語:子どもたち 出ておいで」)
アビたちとキトたち全部で6匹の子猫がデッキで暮らすようになってからも、子猫たちが一斉にぞろぞろガレージの入り口に集まると、向こうからお京さんがおみやげを咥えて帰ってくるのが見えたり。きっとお京さんが何らかの合図を発したのでしょうけど。そういうものを感知する能力も、きっと生まれつき備わっているのでしょうね。 

で、どうして僕が最初に書いたようなことを試みてるというか、練習、訓練しているかというと、それはもちろん動物たちとより良くコミュニケーションを取れるようになるためです。と言っても、一向に上達する気配がないというか、全然できていませんが。(^^ゞ
まあ、動物学とか生態学のような科学的知識は全く持たないので、自己満足、ただの楽しみでやっているようなものです。元々、ドラゴンボールに出てくる「気」とか、スターウォーズに出てくる「フォース」とかにも非常に興味があり、トライしてみようとしたりする人間ですから。(^^;

読み返すと何を言っているのかわからないチンプンカンプンな文になっていますが、つづく。(^^ゞ
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by keip3987 | 2013-04-15 00:16 |
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